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章の最終更新日 平成22年11月14日
大本教の出口王仁三郎聖師さんは出口家に婿養子として入る前は、
その本名を上田喜三郎と言いました。
神は、その喜三郎の「喜」を「鬼」にして、鬼三郎と名乗れと言われた。
いくら神様が言われても、鬼はあんまりだで「王仁(おに)」三郎としました。
おそらく、誰もそこに深い意味があるなどとは考えもしなかったでしょう。
種を明かさないといけません(種明かし)
魂は、鬼と云う
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地の世界は天国にあらず
人の顔をしていても、その魂は獣(毛物)
動物の獣には非ず
魂の表面が穢れ(汚れ)た毛物状
魂が毛物化すると
その心の形象が、獣の姿で見える
自分の肉体は獣ではないと思うから、
聖書に書かれた意味も解らない
それでは、\(獣)の心からの脱獄は適わない
魂を磨けよとの神のコトバの意味すら通らず
神から受けた魂を汚しに汚して来た者達
その魂を毛物(ケモノ)にした者達の為に
鬼(おに)三郎でなく、王仁(おに)三郎
そこには、私達が考えもしなかった仕組みが存在していたのです。
@いつくしみ、思いやり。
礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり→天道の発現
A種子から種皮を取り去った中味
大本教が説いたのは、我れよしの戒めです。
それは
礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり
自分さえよければそれでよい、それは天道の否定なのです。
ほとんどの方は、自分では死ねば天国だと思っておられるかも知れません。
そして、多くの人達は神は愛だ慈悲だと称えて、
何をやっても、神の愛だ慈悲で許されるのだ!。
我さえよければそれでよいを黙認されて来た。
許されるとは、悔い改めての話です。
今の世に、誠を知る者は僅かにて
義の者の数少なし
良心神とは、単に良い心のことではなく
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神(天)に対して礼を尽くし
自分の何をしてもよいのわがままを抑え
他者に対する思いやりを持つ
すなわち、天の道を歩くこと
何故、玉思惟に鬼の漢字が使われたのか?
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元綾部藩主、熊野本宮別当職のクカミ神道家では
九鬼神道でなく、角が無い鬼の字を使います
御祭神を宇志採羅(ウシトラ)根真とします
鬼の字から角を取って「カミ」と呼ぶ
角(かど)を取らないと丸い玉とはならない
あなたは自己主張で鬼の道を歩くのか?
あなたの中の神を「仁」とするのか?
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神が示す仕組みは、人間技では出来ない
さて、大本教の出口王仁三郎師の「王仁」の名乗りに関しまして、
この王仁は「ワニ」と読むのだという論があります。
確かに、鬼の字はあんまりだから「王仁」の部分を無視すれば、
ワニ(王仁)三郎でもいけるようにはなっているのです。
ワニ(王仁)とは
古事記・日本書紀では、
応神天皇の時に百済から漢字と儒教を日本に伝えた帰化人学者とします。
実在した人かどうかの真偽は不明。
大本教が世に出したウシトラ金神を知るには、
儒教と漢字は必須と言えます。
儒学の中でも陽明学の創始者である王陽明は
王守仁と言いました。
追稿
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