章の最終更正日 平成22年6月24日
日本神話に「天の岩戸開け」があります
そして、日本の各地に天の岩戸と呼ばれる場所があります。
そうしたところに行って、どうしてここが天の岩戸?、なのとなります。
どうして、そんな話が残されたのでしょうか?。
太陽神が洞窟に隠れたならば、太陽が隠れるなどあり得ない話なのです。
洞窟に太陽が入りますか?
大本教霊界物語に、これから起きることは宇宙開闢以来とあります。
開闢の「闢」の字に気がつかなかったのです。
宇宙の次元に、神霊をして見えない壁がある
この壁を開けることが開闢(天の岩戸開け)
私達は岩戸と聞かされると、
どうしてもバカの一つ覚えで岩戸だと思い込むのです。
ですから、開闢の字を見ていても「辟」に気がつかないのです。
宇宙が最初に開かれたのが、最初の天の岩戸開けです。
そして、主の神が宇宙の壁を開けて現れるのが開闢以来。
これが、宇宙開けて二度目の天の岩戸開けと言われるのです。
では、この「辟」とは何なのでしょうか?。
辟には、辟擁(神宮)のようにまるい形のものの意があります。
平円で中に円孔のある玉です。
それを、「玉璧」と言います
かって、古代の人達は自分達が住む地球を平面だと考えました。
そして、天が動いているのだと思いました。天動説です。
しかし、天が動いているのではなくて、地球が太陽の周りを回っている。
地動説になりました。
大本教の出口王仁三郎聖師が霊界物語に、
地動説が解っておられながら、地球は平面説を出しておられます。
科学的に言えば、誰が考えてもおかしなおかしな論理です。
しかし、平面的捉え方を持たないと、
過去・現在・未来の意味が観念的に解らないのです。
日本神話では、この地球を
根の国・底の国
いったい、どこが「根の国・底の国」だとなります。
地球の周囲は、宇宙空間ではないかです。
科学的には、そうなのです。
だが、神学霊学から言いますと、根の国・底の国に当たるのです。
それは、とてつもない尺度の中での話しになるからです。
私達が居る世界は、玉璧の円孔の中に居るようなものなのです。
当然に、円孔の中は窪んだ穴の状態です。
周囲は絶壁に囲まれているような世界なのです。
しかし、その世界は私達の肉体の目から見た時には膨大なものです。
為に、私達の魂が狭い空間に押し込められているとは理解しずらいのです。
造化神から見た時は、私達は狭い中に生きている者達なのです。
根底に当たるのです。
この霊界の辟は、霊的に目覚めている方は見ておられるでしょう。
この壁の越え方も解っておられるでしょう。
しかし、それは限られた数の方だけでしょう。
霊界に入った時、この辟を見ても理解が出来ないのです。
霊界においても、この世においても、その世界だけの感覚にあります。
井の中の蛙
西洋で、翼を持った天使の存在が説かれました。
高い高い壁を越えられるのは、羽根を持った者達ではないか?。
残念ながら、西洋で説く鳥の様な天使では霊界の「辟」は越えられないのです。
西洋に造化三神とか天の岩戸開けの教えがないのはその為です。
日本が神国と呼ばれる意味は、全て言葉に仕組んであるからです。
日月神示では、今の世は「三四五(みよいず)」と教えました。
345神政から567神政への章で使った図に手を加えたのが下記の図です。
6(六)は、むゆで「燃」たる火の世界を言います。
7(七)は、ななで「質が成る」を意味します。
ところが、五次元と六次元の境に
世に活動しておられる神々をしてどうすることも出来ない壁があるのです。
それが天の岩戸と呼ばれる霊界の壁のことだったのです。
ですから、六次元が越えられない「345(みよいず)」だったわけです。
今、数は僅かですが、七次元界から降りて来たと称する方達があります。
そうした方達は、無から有を創る力を持っていると言われます。
それは、七次元界以上は創造に関わる神魂達が存在する世界だからです。
よく、神懸かりが言われますが、神懸かりでは5次元までなのです。
自己の内在神でないと、それ以上の次元には進めません。
ここに、「帰神」の教えが存在するのです。
天の岩戸を開けるとは
六次元界の光にも耐える
根底の国から高次元世界に旅立
神鏡は、獣と化した心を写し出す心鏡
神剣は、業(カルマ)取りの叢雲の剣
神玉は、穴が開いた玉璧
獣と化した心を離れ、業(カルマ)を取り除き、根底の国を離れる
追稿
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