章の最終更正日 平成22年11月14日


神は「言葉」とも言われています
その言葉とは言霊(ことだま)の連なりで、
その一音一音は「言霊」と呼ばれています
ヘブライ語は世界最少の言霊構成で、
日本語は世界最多の言霊で構成されています
その言葉を創った存在が創造神と呼ばれます

大本教からイロハ「四十七」の教えがなされました
だが、結びに「ン」の言霊がありますので、
その四十八音で「ヨハネ(四八音)」とも言われています
それだけでは真理(キリスト)は出ないのです
予告の意味なのです

大本教の後に岡本天明氏による「日月神示」が出ました
通称、これを「一二三(ヒフミ)」神示とも言います
イロハでなくて、その四十七音をヒフミで並べる方法です

巷の一部には、
ヒフミ祝詞でないとダメなような論議をされる人達がいますが、
ヒフミでも「ヨハネ(四八音)」から抜けられません
それは、みろく(369)を演じることが出来ないからです

みろく(369)の仕組みを織りなすには、八十一音が要ります
為には、イロハやヒフミでなく、アイウエオでないと解りません
しかし、アイウエオも四十八音に二十五音を含めても七十三音
それでは、「八音」が抜けている勘定になります

大本教神諭に、一番番頭たる八頭神が悪かったからとあります
だが、この八頭神の意味が解説がされていませんでした

下記の図は、仏教で宇宙の真理を現す基本曼荼羅です
八十一体の仏達で現します
チベット仏教に「牛虎」とか「81」仏が残されていても
これまで、その意味が理解されていなかったからです

この図に関わる説明は、http://kamikotokai.com/kotodama/を参照ください。
一二三(ヒフミ)の数字の意味も、そちらで見てください。


では、上記の図から一番番頭たる八頭仏を抜きます
中心仏を取り巻く八体の仏達です
81−8=73
日本語を構成する「73」の言霊を示します
別にその八音は解らなくてもいいのです
私達は知らない言霊の発音など出来ないからです


さて、その八頭神とは何を意味しているのかが謎でした?
仏教で説かれた81仏が本当は言霊神だと解っても、
そこに秘められた言霊の並び方が解らないからです

大本教の出口王仁三郎聖師はイロハ四十七を説きながら、
その一方でアイウエオではなく、
アオウエイの子音だけを説かれました
それ自体は今日では五行説で説かれることです
で、アイウエオとアオウエイでどう違うのか?
並び方が違うと何か問題が起きるのか?
もしかすると、違う並び方を暗示させたかもなのです

この解らない八頭は「ハツ・ハチガシラ」と読むべきでした
癶(ハツ・ハチ)の頭で、天の八体の頭神(一番番頭)
それを漢字一字で示しますと、
癶(ハツ・ハチ)+天で、癸(みずのと)の漢字で示すのです
私達は癸の字を見ていても、天に登るとは思わなかったのです

私達は葵(あおい)の紋章を知ります
特に徳川家の家紋の三つ葉葵です
テレビでは、水戸光圀の御印籠にある紋章です
水戸光圀とは
みずのと(水戸)の光は八方(光圀)と読めるはずです
葵と癸、そこには草冠の違いがあるだけなのです
私達は七色の光を言っても、八色の光は知らないのです
そこに〔米〕で説く仕組みが存在して来るのです

さて、この癸が門に入りますと、

癸そのものが、十干が一巡して元に戻る最後の位です
大本教の出口王仁三郎聖師は
美濃尾張(身の終わり)の国の中と予言されました
しかし、私も含めて「門+癸」でおわるは気付きませんでした

単に終わりならば、冬の糸(太陽は輝かぬ)です
春と呼ぶ日の訪れもないのです
それでは三千世界に花も咲かないのです

この世は魂の修行場
神(十)となってこそ、魂の修行も一区切りなのです
それは、天に登る(癶)ことなのです
そうでなければ、また一から出直しなのです
でも、皆が天に登るのであれば文句はないでしょう


巷では、アセンション(昇天)が説かれています
確かに今回のアセンションに失敗すれば、
もう人類に残された未来の道は滅亡しかないでしょう

しかし、昇天では天に登る「癸」が出て来ません
そこが、神のコトバである日本語でなく
英語で説こうとする者の叡智の足りなさがあります

例えば、ハイヤーセルフの様な言葉を使っているようでは、
「神(~)」と「守」と「上」の違いが解りません
霊界を一層世界と勘違いを起こします
守護する霊や単に上に居る霊では~とは言えないからです
「カミ」と呼ぶ存在にも違いがあるのです
日本の霊能者でハイヤーセルフなどのコトバを使う者は
信用しないことが大切になります
~はコトバを申し示すが解っていない者達なのです。

そうした者達が説く教えとは、
神は愛なり光なりの一本槍
邪神と呼ばれる存在も全て神は光だ愛だと説くのです
誰が自分から邪神です
悪をしなさいと、言うでしょうか?

また、スピリチュアルを標榜する霊能者のなかには、
あるがままでいいのですとか、
自由に好きなことをしていいのですと説いておられます
???

お釈迦様の悟りに、この世は「苦界」があります
この世は魂の修行場として創られたものです
この世での魂の向上心を説かず
あるがままに生きよとか自由に好きなことをしなさいでは、
自己の魂が磨かれるとは限らないのです

自分の魂を磨くとは、「苦」の中なのです
魂が高いと言われる方ほど
この世の苦難の道を歩かされていると知られます
そこにあるがままとか、好き勝手などの道はないでしょう

この世の苦難の道を歩き
流した涙の数が多い人ほど
他人に優しい人となる
その魂も自然と磨けて来る

魂の向上を目指さずでは、
天に登る「癸」に成らず


天に上がる(登る)葵上(アオイウエ)
光圀の八方の光(米印)で水戸を開く魂の禊ぎ
全ての罪を洗い流して、天に登らせる癸

世根(米)で、全ての罪を洗い流すのです
魂を更生させて、新しい世に甦(更生)る
そして、369(みろく)の世の成立なのです


こんな不思議なことを仕組まれた~様が存在するのです
それは、チャネラーで交信する霊ではないのです
言葉の仕組みを紐解かない限り、理解出来ない~なのです




追稿