章の最終更正日 平成22年11月25日

いくら神様と信仰しても
神が助けてくれるとは限らない
人を助けてくれるのは人

人は誰しも解ることがあります。
貴方は自分一人では何も出来ない。
貴方が病に倒れた時、貴方を救ってくれるのは医師であり看護師さん。
貴方が食べるお米を作ったり、魚を採ってくれるのは人です。
貴方が着る服を作ってくれるのも人です。
貴方が住む家を造ってくれるのは大工さん等の人です。
貴方に教えをしてくれるのは、先に学んだ先達たる人です。

もし、貴方が歯痛を起こしても、神が治してくれますか?。
もし、貴方が介護を必要とする時、神が介護をしてくれますか?。
もし、貴方が転んだ時、神が手を貸してくれますか?。
私達は人の相互扶助の精神に基づいて暮らせるのです。
ですから、自分だけ好ければ好いは絶対にしてはならない行為です。

人は食べなければ、この世では生きてはいけません。
それは人であれ動物であり鳥であれ、食べるのが生きることです。
そして、貴方の命の食となるのは他の命なのです。
他の命の犠牲で自分は生かされていると知ることが大切なのです。

神は愛だ!と叫んでいる者達よ。
ならば、その人達は他の命を食することを止めなさい。
他の命を殺して食べていることは、愛の行為に反するだろう。

人は食べる為には働かないといけません。
神様神様と言っていて、食べさせて貰えるわけではないのです。

神様に食べさせて貰っておられるのは、
神の御代と呼ばれる様な方や神職の方だけです。
神様と人の仲立ちをされて、そのお謝礼で食べておられる。
もしもそうした霊能者や神職者が居なければ、
おそらく人類は神や霊と呼ばれる存在の認識すら出来ないでしょう。
だが、そうした神職は祭る神霊を越えられない。

神が人を助けるとは、医学をもってしても解決が出来ない。
どんなに努力しても不可能なことがあります。
そうした時、神との仲立ちをされる方の気持ちで神が動かれたり、
願い人の熱心に打たれて願い事を叶えられることはあるでしょう。
だが、誰でも彼でも願い事をすれば神が叶えてくださるなどではないのです。

その神とて、背後から人を動かせて助けられるのです。
表面的には、人たる存在が貴方を助けるのです。
人には信仰心が篤く、
神から動かされていると知らずに助けに動く人もあるのです。

神は愛だ!光だと叫んでいるスピリチュアルの人達は勘違いしています。
愛を持って、世をあまねく照らしているのは「世根」の人。
人が神に代わって、愛とか心の光を他の人に照らしているのです。

人は肉体的な存在だけではありません。
魂と呼ばれる存在を持っているのです。
その魂が愛や光を放つのであって、
肉体を失った存在の魂が愛とか光を放っているのであって、
神は愛だ!光だ!では、神を見ているとは言えないのです。

霊的世界から、この世を見れば
この世の人も様々な光を放っている存在
個々の魂が魂の磨きで霊的光を放つ
磨かれていない魂は霊的光を放たない

大本教の出口王仁三郎師は、面白いことを書き残しておられます。
天国に案内すると言いながら、
地獄に信徒を案内している宗教家。
それは最近のスピリチュアルブームに乗って来た人にも言えます。
宗教は魂を説かなければ間違えるのです。

神と呼ばれる存在には幾つかの段階があるのです。

一番上は、宇宙の法たる意識
法を愛で曲げることは出来ないのです
いくら神は愛だ!光だ!と叫んでいても

もしも、神が愛で法を曲げていたならば
宇宙そのものが成り立たないのです
法は犯さざるもの、曲げてはならぬもの

あなたは宇宙の法に従うのか!
あなたは宇宙の法に従わないのか!

ただ、法の運用に当たっては結果論ではなくて、
その「因」が重視される。
正義をしょうとして、結果が犯罪となる場合もあれば、
悪をしたつもりでも、正義となる場合もある。
そこに良きも悪きも因縁が生じる。
神はその因が正しければ許すは愛ではない。

神は光で闇と対峙しているなどは、低次元霊の囚われの話。
闇なくして光は生じず。
神の光を閉ざしているのは、個々の魂や人の心の問題。
自らが光輝けばよいだけの話。

私は霊能者の方達から、貴方は通常の方と違い、
桁外れの霊団が背後にあると言われてきました。
で、私はこの世では幸せ者だったかと言うと、
まったく真逆で、人としては不幸せ者だったと言えます。
神も仏もいるものかと言う状態だったのです。

私の霊界修業のお世話をしてくださった豊受の神は、
あの者に、これでもかこれでもかの苦労をさせそこなったと嘆かれた。
ですから、誰よりも苦労したとは言えません。
確かに、神と呼ばれる存在から見れば甘かったかも知れない。
多くの人には御利益を授ける神でも、私が授けられたのは苦労。
神は必ずしも人に幸福ではなく、魂を鍛える存在でもあるのです。

私の最初の師匠であった方も言いました。
人の世でどんなに苦労をしても100年もあるわけじゃない。
この世で苦労をしても、神の世界に行く方が良いのです。
そちらの世界の方が遙かに長いのです。
魂の命から言えば、この世の苦労は過ぎ去れば瞬間の時。

神は愛だ!光だ!。
あるがままでいいのですと、魂の修行を否定する霊感者の守護霊?。
そんな存在は神でも本当の守護霊でもなんでもないのです。
単に地獄界に籍がある様な霊の憑依で、
霊感者は甘い言葉を聞かされているのでしょう。

この世は魂の修行場

大本教の出口王仁三郎聖師は、この世は天人の苗床と言われた。
私達は何の為にこの世に生まれて来ているのか?。
遊ぶ為にこの世に生まれて来たのでしょうか?
それならば、あるがままでもいいでしょう。

人は神とも成れる魂を天帝より頂いている

人は【神の子・神の宮】と呼ばれますが、神そのものではないのです。
神(人格神)とも成れる存在だということなのです。
その神とも成れる場で、遊んでいて神に成れるのでしょうか?。
テストの結果は、再試験になるのがオチなのです。

イエスの教えは、悔い改めよ

まず、悔い改めないと行けません。
神は愛だ!光だ!、あるがままでいいのですでは、
この世に出て来る必要などなかったのです。
この世であるがままと遊んでいることを薦める霊やスピリチュアル達は、
魂を磨くとか、天人と成る道を教えないのです。

磨かれなかった魂に天国門など開かない
この世は楽だ楽だでは、針の穴を駱駝を通すようなもの

私は、これでもかこれでもかという体験はさせられました。
しかし、自分の命に関わるような大事には神から守護されていました。
もし、そうでなかったならば、とっくの昔に事故死しています。
守護されている神霊は、死なないように守って来たと言われる。
だが、神の御利益とか幸せなどは無縁のことでした。
もし、何も解らない霊能者ならば、
貴方の背後に有る神は貴方を不幸にしている邪神と言うでしょう。
もし、何の苦労も無しに魂が磨けるものならば、
無益な苦労をさせるのは邪神と言えるかも知れません。

だが、私自身自分の苦労は足りないかも知れないが、
泣いた涙によって自分の魂は人に優しいもの成れたと思うのです。
他の人の悲しみや苦労は、自分も体験して解るのであって、
体験していないと実感として湧かないのです。
人は自己の不幸とか幸せで、神の尺度を測っているのであって、
大多数の人が自己の魂を磨くを忘れ去っているのです。

神が常に守護して甘やかしていれば、その魂は磨かれない。
非情と呼ばれるほどのものが襲って来るものなのです。
だが、多くの人々は瞬間的幸せばかりを考え、
そうした存在を祟り神、悪神として来たのです。

試練をくぐってこそ、魂は磨かれる

貴方を助けてくれるのは、この世の人なのです

私は子供の頃、私に臨まれた神から、
そなた一人だけにはこの神の仕組みを見せると言われました。
その仕組みは、みろくを意味する369の米教
さらに567の示しがなければ、
210が米が実る頃とも解らなかった

他(田)を救(鋤く)いて、世根(米)となれ

人の身である者は、他の人を救いなさい。
そして、この世の世根(よね)として生きなさい。
それが、身に禄をつけさせるからです。

自分は偉い者等と、威張ってはいけない。
我さえ好ければと、自己勝手で世の中を汚してはいけない。
悪にも神の御用がある場合があるけれども、
我好しの行為に神の御用は存在しないのです。
他の人の手助けで、自分が有ると知ることです。
他の人の助けだと理解出来れば、感謝心も湧くでしょう。

自分の命は、他の命を頂いて生きています。
ならば、自分も他の命の為に命を捧げることも出来ます。
そこに、神の祭壇に上る「犠牲」も発します。
犠牲心は、我好しでは絶対に湧きません。

もし、貴方が他の人を助ける働きで死んだとしても、
この世の命は失っても、神の世に復活しているのです。
それは、
神は魂を助ける存在だからです

もし、貴方が信仰心に篤い方ならば、
この世で神の奇跡を見ることがなくても、
死後の世界でその魂に対して助けが入っているのです。
魂を潰したり腐らせた様な人の魂でも信仰心篤き方の魂は、
その魂を元に戻して、再度人の世にも出す。

今、アセンションが叫ばれています
そうした時、金ではみろく世行きの切符は買えません
金ではなくて、
あなたの良心神の在り方がどうだったかなのです
捌きは、この世のエンマ(円真)の良心神がします

貴方が、この世でお世根として実らせた米が、
みろくの世に入る代価たる切符です
貴方の米(世根)作りの結果で払ってください
貴方がこの世で社会や人の為に尽くした功績です
宗教家に大金など払う必要は一切ありません

地獄の沙汰は金しだい???

魂の円真(エンマ)大王は、この世の良心神
【大本教神諭、この世の閻魔大王として現れる】
金では絶対に買収不可能な存在なのです




透明の水晶の様な玉に、
真ん中に天帝からの分魂があるのが
水晶魂
(へたな作図で申し訳ありません)
(見せられしものを何とか作図したもので、写真の様に完全ではありません)
(幻視上は透き通った玉です)

この記号を持って「ス」の神だと言うものでもないのです。
漢字的には米の量で、良の字を教えるのです。
米と良心神の教えが隠れているのです

大本教が出した水晶魂だけでは、単に水晶玉と同じであって、
その玉の真ん中に天帝からの分魂が有る玉のこととは解らないのです。
 そこには単に水晶玉の様に魂を磨く意味だけでなく、
天帝たる存在を崇めないといけないのです

我さえ好ければそれで好いでは、
天帝の御心に適わず。
天帝の分魂たる中の丸が存在しなくなる。




追稿