章の最終更正日 西暦2010年6月24日

大本教の2代教主補・出口王仁三郎聖師は、
近代日本が出した最高の予言者として知られています。
ただ、その予言の中には霊界物語や大本教神諭等には記載されておらずに、
その弟子達だけに伝えられたものもあります。
そうしたものは世間一般には知られておらず、私達の目に触れることはありません。

そうした中の一つが、「真性みろく神業は綾部市上野町」から起きて来るです。
このことは、一般には知られていなくても、
神業に携わっている一部の者の中では知られていた模様で、
綾部市上野町にわざわざ居を構えた霊能者の方もあったようです。
こうしたことは、その霊能者の背後の神霊によって命じられています。

神霊世界が綾部市上野町に関心があったのは事実なのです。
ただ、それと霊界物語・信天翁の「みの尾張の国の中」とが、
どう連動しているのかがよく解らなかったわけです。

しかし、綾部市上野町と言っても広いのです。
大本教が平成に建立した神殿群も、上野町の中に存在はするのです。

大本教の出口王仁三郎聖師が弟子達に残された預言の中に、
記載された文面を残していませんので、
内容の一句一字の正確さを欠きますが、
下記の様な内容のものが伝えられています。
如意宝珠、その殻玉は独国に埋められて、
その精は日本から発動をする。

如意宝珠とは、
すべてが「叶」う
その為には、あらゆるものを産む宝が要ります。
その宝を産む働きを「龍宮の乙姫(音秘め)」様とも言います。

では、大本教出口王仁三郎聖師が言った「上野町」を見てみましょう。
上野町の部分は青色斜線で示しました。
実際はこれよりも広く、地図の左下側にも上野町はつながっています。
また、大本教信徒の墓地である天王平も離れていますが上野町です。
赤色で示してある部分は、綾部の大本教神苑の中に金龍海がありますが、
本当の金龍海と呼ばれていた部分です。

地元の伝説(丹波風土記)では、鮭伝説で底なし沼と言われていました。
この伝説に出て来る「杵」は、地図下記の若宮神社の摂社の杵神社とします。
この杵は九鬼神道の九鬼藩があった当時は、本宮山の中腹に在ったとされます。
この杵は、出雲の「杵大社(出雲大社)」と関わりがあるともされます。
で、その池の付近は大国主命様の元屋敷地とも言われています。



地図の青色で示した右側に平成に成って建立された大本教長生殿があります。
しかし、これは平成になってからの話です。
それまでは、旧綾部小学校が在りました。
元綾部藩(ウシトラ金神の九鬼家)の馬場が存在しました。
綾部小学校の創設は、尋常小学校から普通小学校に変わる時期であり、
大本教そのものがそこに神殿を持っていたのではありません。
その土地を戦前の大本教が所有しており、
戦前の弾圧事件で大本教から国家が取り上げた土地であったので、
後に大本教に返還されました。
小学校は道を隔てて、新しく建てられました。
となると、出口王仁三郎聖師が予言された真性みろく神業とは、
別に大本教そのものを意識したものではないことになります。

この青色で示された範囲の中の左上側に、
大本教開祖出口なおさんが、篤く信仰された本興稲荷があります。
この本興稲荷は、元は綾部九鬼藩の藩邸内に在ったもので、
廃藩以後、九鬼神道の九鬼家の菩提寺隆興寺の境外地にあります。

出口王仁三郎聖師は、綾部市上野町に天の御三体神の御在所が出来たならば、
綾部は神の都(聖都)となると予言されていました。
大本教さんで平成に成って造営された神殿はあるのですが、
どうも場所が少しずれていたようです。

日本神道で云うところの高天原とは
「米と蚕」を意味する場所ともされます
建てるとすれば、現在は近畿中国四国農業研究センターが在る場所で、
以前は農林省関西試験場と言い、「米や蚕」の試験場だった場のはずです。
そこに天の御三体の御在所が出来ていれば、話が違ったかも知れません。

しかし、今は神界に関わる幾多の人達がアセンションを告げている時であり、
現在ではなく、みろくの世での話なのかも知れません。
綾部が神の聖都説は、世の立替が終わってからの話なのでしょう。

何故に、この様な予言がなされたのでしょうか?。
それは歴史には記録が無い超古代の神代の中心地が
上野にあったからとされます。

上記地図内に
神界で、人間の知る問題では無い。
神の世界の問題であるとまでされた場所があります。
大本教の出口王仁三郎聖師は、そうしたことを知りながら、
その地を大本教としては保有されなかったことになります。
やがて来る時期に、大本教が神業を邪魔しない為でしよう。


神々の故郷、上野は神の公園です

しかし、今、この付近を歩いても、どこが神の聖都だとなります。
現時点では、綾部は主の神が降臨される場所とされます。
しかし、それは創造神と呼ばれる神の降臨が
現実に起きない限り証明されません
人類は、未だ創造神を見ず
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「エルサレム」を聖都としますが、
大本教は、上野は仏教も日本神道も含めた神の聖域だと予告したのです。

大本教霊界物語で、綾部は主たる「神の聖都」。
エルサレムは「副都」であると記されましたが、
当時は、その意味がよく理解されなかったわけです。


大本教神諭 明治31年旧12月26日
【綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ】
九つ花と呼ばれるものは九の数理盤とも呼ばれるもので、
それ自体を咲かせることは綾部で無くても可能です。
どうして、綾部である必要があるのでしょうか?。
大本教の演技は、言葉の仕組みを解読させる為にありました。

コトバには、古都場(コトバ)の意味が秘められていたのです。
古き神の都が在りし場の【古都場】
日本語には漢字が必要で
漢からの秦氏が部として住んだ処
綾部の古来名を【漢部】と言う
そこにある意味は、【大地中央】の臍たる位置なのです。

為に、どうしても綾部という場で咲かせなければならなかったのです。
単に言葉は神なりきを説くのでなく、
古き神の都の中心点を密かに押さえる必要があったのです。









綾部藩の殿様は、九鬼神道で知られた九鬼(クカミ)氏でした。
九鬼神道の御祭神は宇宙の元津神で、「宇志採羅(ウシトラ)根真」としました。
大本教が出したのは、ウシトラ(艮)金神でした。
決して、今日や昨日と言うスパンで示されたものではありません。
鳥羽から、紀州熊野からと続く長い仕組みなのです。

また、大本教ではその神苑の中に金龍池を造りました。
しかし、出口王仁三郎聖師が大本教は「型」に過ぎないと言われたように、
本当の金龍海は、丹波風土記にある伝説の底なし沼。
ここに龍神界の出入口が存在するとされます。
この池が消えたのは、最後の綾部藩主の九鬼氏によって、
由良川まで水路がつけられたからと聞き及びます。

この由良川を上りますと
京都府舞鶴市の由良川沿いに「大川神社」という名の神社があります。
 丹後国では籠神社に次ぐ伝統と格式を保つ神社です。
【金色の鮭に乗り、右手に五穀の種、左手に蚕を携えた女神】が、
舞鶴沖の冠島より海を渡りやって来られたと言われています。
この女神は豊受神(保食神)とされています。


大川神社御本殿

冠島と言いますと、
大本教で国常立尊様は、由良川の先の舞鶴沖の冠島(龍宮島)・沓島の両島に、
三個の神宝を隠されたとします。

 何れ、世界の終末に際し、世界改造のため大神の御使用になる珍(うづ)の御宝である。
しかして、之(これ)を使用さるる御神業がすなはち一輪の秘密である。
大本教霊界物語第一巻・三五章

しかしながら、その3個の珠の体のみ両島に納めおき
肝腎の珠の精霊をシナイ山の山頂にかくし置かれた。
大本教霊界物語第一巻・三六章

そうした内容は別としましても、
冠島(龍宮島)の豊受姫(保食神)が由良川を上がって来られたとなります。
その型となる、やはり鮭伝説の池が綾部市上野町に存在します。
そして、出口王仁三郎聖師は、そこが本当の金龍海と言い残されたわけです。

大本教の出口王仁三郎聖師は、
世に発表したものと違った動きをされています。
それは、上野町のとある場所を、
その弟子達に弥勒神業に使われる神宝が埋められていると言い残されたのです。
出口王仁三郎聖師亡き後、
そこを弟子達が掘ってみましたが、何も出て来ませんでした。
霊的な意味なのです。
その場所は金龍海の龍宮呼吸口と言われています。

みろく世におきましては、
日月神示には働きたい者は働き、遊んでいたい者は遊んでいればよいとあります。
全て、神が与えるとあります。
何故に、そのようなことが可能となるのか?。
それは、あらゆる財宝を隠した存在が龍神界(龍宮城)で、
それにつながっていない限りは、不可能となって来ます。

上野町に在る池田の字地名は、その名残を示すのです。
単に「上野町」だから、神の聖都ではなかったことになります。

上野には「不忍池(金龍池)」
刀を折っての心(忍)には非ず


では、今の綾部が神の聖都となるのでしょうか?。
残念ながら、今の地球上での話ではないようです。
この地球と瓜二つのもう一つの地球にある綾部の話だと思われます。
それは、神の聖都たる綾部と今の綾部とでは南北が入れ替わった映像だからです。
ただ、聖なる都の中心点と繋がっているのです。

大地中央(臍)も意味する



追稿