章の最終更正日、西暦2010年6月24日

明治25年(西暦1892年)旧正月(節分)の夜、
丹波の片田舎の綾部町(現綾部市)に住む「出口なお」さんと言う方に、
ウシトラ金神と呼ばれる神が降りました。

この「出口なお」さんを開祖として起きた宗教が戦前の大宗教の大本教で、
近代日本が産んだ最高の預言者として知られる「出口王仁三郎(喜三郎)」さんを
2代教主の婿として迎えて、世の立替論を展開しました。
この出口王仁三郎さんは聖師と呼ばれ、彼が書いたのが有名な霊界物語。
大正十年十月十八日より口述され、大正十五年七月一日にて七十二巻終了。
その後に天祥地瑞の九巻が加えられて全「八十一」巻。
この八十一巻の仕組みに関しましては、神言会さんのホームページに解説されています。
http://kamikotokai.com/


この霊界物語の第一巻、第二篇の「幽界より神界へ」の最後に、

世を救う弥勒の神の標章(みしるし)は
○に十字の神定めなる
とあります。


大本教の出口王仁三郎聖師さん、変性女子と名乗っておられました。
女子の記号は「♀」で、古来より救世主の星。
金星の星を意味します。

出口王仁三郎聖師さんは、最初は救世主と称しておられたようです。
しかし、後からは聖師に留められました。
金星の救世主と名乗るのであれば「♀」記号。
変性女子と名乗った経緯は、♀でなく男であったので苦し紛れに変性女子?。

それとも、最初から神の仕組みの舞台劇

救世主の金星を意味するのはビーナス神です。
そこに秘められた意味は、美を為す、美を成す、美を生(な)す。
では、その仕組み。


女子の意が薩摩紋に変わりました

大本教の出口王仁三郎聖師さんは昭和23年1月19日に他界されました。
では、残された大本教はこの意味を知っていたのでしょうか?。
大本教は平成の世に入ってから、新神殿を建てました。
これは、出口王仁三郎聖師さんが予告された、
天の御三体の神様をお迎えする御在所が出来たならばの関係でしょう。

さて、この平成神殿の屋根の下の白壁に○に十字は入っています。
しかし、○に十字は入っていても、○と十字が結合していません。
これでは、薩摩紋(地球記号)ではありません。
この場合は、水晶魂に入る白十字を意味します。

大本教、平成神殿の白壁

いくら、霊界物語に○に十字は弥勒の神の御紋章と残されていても、
その意味が解っていないと解釈が違うものとなってしまいます。

では、○に十字が離れているのが正解か?。
それとも接合していなければならないのか?。

【大本教霊界物語第十三巻・信天翁】
いま大本にあらはれた 変性女子はニセものだ
まことの女子が現はれて やがて尻尾が見えるだろ
女子の身魂を立直し 根本改造せなくては
誠の道はいつまでも 開く由しなしさればとて
それに優りし候補者を 物色しても見あたらぬ
時節を待ってゐたならば いづれ現はれ来たるだろ
みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたら
モウ大本は駄目だらう 前途を見こして尻からげ
一足お先に参りませう 皆さまあとからゆっくりと
目がさめたなら出て来なよ 盲目千人のその中の
一人の目明きが気をつける なぞと慢神してござる
王仁はこの言聴くにつけ お気の毒にてたまらない
こんな判らぬ奴ばかり 盲目ばかりがささやけり

この歌を各自のことに誤解して
罪をかさぬる曲人もあり
昭和10年3月30日更正

出口王仁三郎聖師さんは、自分がニセものであったと記しておられますが、
本当のニセものであれば、自分から言うことはなどはないでしょう。
このニセもの発言には深い意味があるのです。
この歌を各自のことと誤解してとあるように
人の意味ではないのです。
それは、みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたらで解けます。
その紐解き方は、神言会さんのホームページに記載されています。
http://kamikotokai.com/


または、深田剛史さんの著書・数霊(かずたま)でも解るでしょう。
ただ、これらは大本教神諭の九つ花に咲く一輪の言霊の解読です。
一輪の言霊は、一輪の言霊として存在します。

九つ花で解く場合の女子は、良子として説明出来ます。
しかし、その程度の仕組みであれば、大本教からも出せたはずなのです。
出口なおさんの娘の「おりょう」さんに、良の字を当てれば出来たことです。
何故に、「十三」巻にわざわざニセものと残す必要があったのかです。
良子の存在を、どうして「十三」の仕組みで消したのかなのです。

大本教神諭 大正4年旧4月6日
時節には神も敵わんぞ
そこには時節の問題が存在したのです。
みのか尾張の国の中では無く
身の終わり(美濃尾張)の頃

為に、前途を見こして尻からげ
一足お先に参りませう 皆さまあとからゆっくりと
目がさめたなら出て来なよ となります。

大本教の出口王仁三郎聖師は、
広島・長崎に新型爆弾(原子爆弾)が落ちて火の海になると予言されて、実際になりました。
だが、出口王仁三郎聖師さんはそれ以前から、
世の大立替時は火の雨が降ると言われていました。
そこで、信徒が出口王仁三郎聖師に火の雨が降るとは、
広島・長崎に落ちた原子爆弾のことですかかと尋ねたならば、
それどころでは無いと答えられと伝えられています。

その火の雨から、神を信じる人達を助けるのが「十三」の仕組み。
救世の仕組みです。

身の終わり(美濃尾張)の中
変性女子、○に十字が「十三」で解読される

九里より甘い十三里の薩摩芋
○に十字は薩摩紋
○に十字が離れると、薩摩紋とはなりません。
また、弥勒の「勒」とは読めないのです。

大本教の九曜紋(九つ花)
神言会の九つ花
大本教で出した十曜紋
上野公園の十要(トヨウ)紋





大本教では、最初に九つ花として九曜紋が掲げられました。
しかし、九曜紋からたった一輪の言霊の経綸を導くなどは出来ません。
次に大本教では神旗を九曜紋から十曜紋に変えました。
そこには、それなりの意味が秘められています。


そこで、十曜紋を作図してみましょう。
作図するには、まず正九角形を描かなければなりません。
一角が40度になります。

ここで、不思議なことに気付きます。
それは、正九角形の総和は「1260」度です。
一つの三角形の総和は180度ですから、残る二角は140度です。
それが九つありますので、140×9=1260です。

この「1260」の数字で思い出すはずです。

それは聖書のヨハネの黙示録 11:3
 そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、
千二百六十日のあいだ預言することを許そう。
聖書ではやたらに「1260」が出て来ます。
でも、意味が解りませんでした。

大本教からは大本教神諭を出した出口なお開祖さんと、
霊界物語を出した出口王仁三郎聖師さんの二人の預言者が出ました。
大本教はイロハ四十七と「ン」で48音
ヨハネ(四八音)の露払い

大本教神諭に九曜紋から十曜紋に変更するにあたっては、
神界の都合としか明示されておりません。
十曜紋も、またその意味が理解されず来ているのです。

大本教の十曜紋は1260度
誰も、ヨハネ(四八音)と1260の演技がされたとは気づかなかったのです。

十曜紋の作図では、九角の頂点に小さな○を描きます。
そして、その中に大きな○を描きます。
その時、○の描き方によっては厳密ではありませんが、
バランスよく描くと、小さな○と大きな○の直径は1:2の割合と気付きます。
では、その1:2で作図したものが、下記のものです。
バランスよく、十曜紋が出来ることが解ります。



ただ、このままだと意味が解りません。
色を変えたものを見ましょう。
面積で見た時、小さな○が「1」に対して大きな○はほぼ「4」。


9(1×9)=13

しかし、大本教の十曜紋では、薩摩の芋が出せなかったのです。
大本教神諭予告の九つ花は、「米」型で一輪の言霊の経緯を教えます。
13は「芋」の教えなのです。



追稿