章の最終更正日 平成22年11月14日


預言者・霊能者の言葉に100発100中無し

私達は預言(予言)者とか神に仕える霊能者と言われる人が出した言葉の内容に、
本当に成ったこともあれば、本当に成らなかったこともあると知ります。
そうしたことから、そうした予言者が言ったことで当たったとしも、
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、いろいろ言っておけば、
偶然の産物でたまたま当たっただけであり、
科学で証明出来ない神とか霊界など存在しないと言う方達があります。

近年、ブラジルの予言者とされるジョセリーノさんが話題になりました。
スマトラ沖大地震や9・11同時多発テロを予言して当てたこどで話題になりました。
しかし、彼が予言した内容の的中率はとなると、絶対は疑問符が出ます。
そうしたことから、スマトラ沖大地震はデタラメが偶然に当たったのだ。
9.11事件はある組織の陰謀で、彼は事前にその組織から聞いていたのだ。
そうした論まで飛び交う始末です。

しかし、そんな数打ちゃ当たるで、地震のマグニチュードまでは当たらないでしょう。
そうした地震を起こせる化学兵器論まで出て来ると、何を言わんやかとなります。
また、彼の9.11事件の予言時期は、おそらく計画される以前のものでしょう。
では、彼はどこからその予言の源を仕入れたのかとなります。

20世紀、アメリカで眠れる偉大な予言者とされるエドガー・ケイシーが出ました。
エドガー・ケイシーは予言の的中率が高かったことで知られます。
彼が引き出していたの「アカシックレコード」と呼ばれるものからとされています。
このアカシックレコードとは、アーカーシャ(Akasha、アカシャ、阿迦奢)のことで、
サンスクリット語で「虚空」「空間」「空(そら)」を意味する言葉からです。
仏教で通常は「虚空蔵」と言われます。

万物の源は全て虚空蔵より出る

虚空とは、【何も無い空間】のことですが、
仏典では【無形・無想で一切の万有を包括する真如】の世界と説かれます。
無から有を生じる世界と言えます。

しかし、虚空の虚に口の字は「嘘」の字となります。
その「嘘」の中に、真如があることになります。
虚空蔵菩薩は、福徳の如意宝珠、知恵の宝剣を持つとされます。
そこには、「嘘」を通じて知る知恵があることになります。

霊界の嘘を恐れていては
真理の道は見つからない

私達が今日まで「真理」を獲ることが出来なかったのは、
霊界の嘘に何時までも埋没していたからなのです。

仏教で、この世に起きる出来事は偶然性は無く、全て必然性からであると説かれます。
どんなに正しい人でも貰い事故で命を落とすことがあります。
すると、命を落としたのはその人が悪くて必然性なのかとなります。
非常に分かり難い理論で、反発を受けやすい内容です。
偶然性でなく必然性で起きる出来事に、自分が巻き込まれる偶然性もあるのです。
出来事そのものは必然性でありながら、場などの偶然性が作用するのです。
その必然性で起きる場に行かなければ、偶然性にも出会わないことになります。
こうしたことは方位で語られます。
こうしたことが解らない方ほど、ヒステリックな反論をされるのです。


高い霊格の守護霊さんに守られている様な方は、
守護霊さんが、偶然性の悲劇に巻き込まれないようにしておられる時があります。
そこに、運、不運も起きると考えられます。
この高いとか低いとかは、霊界が階層世界であり、
高い方ほど見渡せる範囲が広くなるを意味するのです。
そこに先見が生じるのです。


このアーカーシャは、インド哲学では「アートマン」とされます。
そのアートマンは、個の根源であり、「真我」とも訳されます。
すなわち、魂の中心核の部分を指します。
日本神道では天の神の直霊と呼び、私は「良心」神と言っています。

つまり、自分がした善も悪も記録する「閻魔帳」でもあるのです。
ですから、閻魔帳には、
個々の魂が積んだ過去の悪も善も記録してあり、
それによって一人一人の「未来」も決まることになります。
どうしてそれが、アカシックレコードと呼ばれているものと同じと
気付かなかったのかとなります。
それは、誰も「真理」を求めなかったからです。

エンマは魂の「円真」でもあるのです。

仏教におけます「虚空蔵菩薩」とは、
アカシックレコードを擬人化したものではないかの説があります。
虚空蔵菩薩は、仏教で丑歳生まれと寅歳生まれの守護仏とされます。
そこにあるのは
虚空蔵=丑寅(艮)
牛頭に虎パンツは鬼と云う(魂)
全ての魂に、エンマの裁き
あなたが罪で裁かれるのは、あなた自身の円真によるのです

しかしながら、虚空の世界は「虚」を発します。
で、何もか嘘だ嘘だと片付けていたのでは、
何時まで経っても真実は見えて来ないことになります。
神霊世界に関わっていますと、
見えて来る物は脳内妄想等で片付けられる話ではないと解ります。

日本では、大本教の出口王仁三郎聖師は傑出した予言者として知られています。
出口王仁三郎師は太平洋戦争の中で広島や長崎に新型爆弾が落ちて、
火の海になると予言されました。
その予言は当たったわけです。
それらは出口王仁三郎さんの脳内妄想だったのでしょうか?。
脳内妄想で、広島や長崎は新型爆弾で火の海など語れません

ところが、どうしてそうしたことが事前に解っていたのかの論議では無く、
神は解っていたのならば、どうしてそれを止めなかったのか論ばかりです。
人間の感情論としては解りますが、それでは真実を見落とします。
言うなれば、見る視点、考える視点が違っているのです。

また、出口王仁三郎師の大正時代の予言に、
現在のワンセグと思われるものや電子メールが予言されています。
その事実に対して、あまりにも無知な論議がなされています。
未だ起きてもいない事柄が
どうして事前に解ったかなのです

私は神の力の大小には、事前に知る力があろうかと思います。
事態が起きてから慌てふためくより、それに備えさせるがあろうかと思います。
西暦1892年(明治25年)のいち早くに(1892)で、
丹波の片田舎の大本教から「立替」が予言されました。

今、この日本のみならず、西洋でもアセンションの言葉で立替論が出て来ています。
そんなことは、明治25年から出口なおさんのお筆先として
ウシトラ(虚空蔵)から出ているのです

しかし、問題はウシトラ(虚空蔵)から出たものの現実化です
虚空蔵は精神世界で物質社会とは違うからです
そこには、当たらないデタラメが含まれるからです
誰でも解る様に、想いはどこまで行っても想いで、
現実化する力がなければ「夢」とかの想いで終わるのです。

では、デタラメとは何でしょうか?
デタラメは漢字で変換すると「出鱈目」と出ます。
これは完全な当て字で、
さいころを振って出たら、その目にまかせるの意かとされています。
デタラメとは、確率
で、それが起きないと言う意味ではないのです。
また、でたは「出た」であり、「ラ」の芽を出すことなのです

出鱈目ではなく、出多「ラ」芽

霊界(虚空蔵)からは、いろんな「ラ」の芽が出て来ます。
そこには、嘘も真実も織り混ざっているのです。
霊界(虚空蔵)から来たものに絶対性がないのはその為です。
しかし、ポケット(物質界に作用する位置)に入ればドンピシャの大当たりなのです。
偶然性ではないのです。
予言者は霊的に見えた映像を言葉に翻訳して伝えています。
そこに出て来るのは、虚空界(霊界)が発した想念(映像)なのです。
問題は、それがこの世に作用するかどうかなのです。
優秀でない霊能者は、間違いなく外れる映像ばかりを見ていることになります。



世の中にはインチキ霊能者とか、
狐狸と称されている様な霊界の低級霊に憑依されて、
当たってもいない霊界通信を平気で言う霊能者も多数存在しますが、
本当の霊能者は最初から「嘘」を言っているのではないのです。
自分に見えた物を言っているだけなのです。
嘘を言う者が居るからと言って霊界否定していたのでは、何も見えません。

それが虚偽となるものか?。
万が一にも可能性があるのかの判別能力が問われるのです。
万一の恐れがあるものには
外れても予言の必要性はあるのです

霊界は想いの世界です。
ほとんどの霊能者の方は、
神界は正神界と邪神界が引き合っていると言われます。
必ずしも、絶対神の元で統一されているわけではないのです。

では、統一神たる存在はどこに居るのか?。
それがまったく闇なのです。
創造神は始めにして終わりの神と言われるように、
人類がその存在を見る時とは終わりの時だからです。

為か、霊能者はどちらに属しているのかがよく解らないのです。
自分では正神界と思っているだけなのです。
自分では宇宙からと言っていても、
他の霊能者からは、それは違うぞと否定もされてしまうわけです。

霊能者と呼ばれる方達の中には、良心的な相談料の方もあれば、
ぼったくりバーの様な法外な料金を要求される方もあります。
神霊世界は全てが正しい神ではなく、
どちらかと言うと、その霊力を誇っているからです
現在の霊界は、力が強い物ほど上に在るのです

ぼったくりバーの様な霊能者の守護神とは?、
ほとんど動物霊と呼ばれる様な物と断定してもいいのです。
強い動物霊は弱い動物霊を押さえ込む力がありますので、
助けて貰えればそれで構わないならば、それでもいいわけです。


想いそのものは、正神界からも邪神界からも出ます。
そうした想いが霊能者を通じて予言の形で出ます。
その時、反対勢力はその予言が成就しないように動きます。
で、阻止できれば予言は当たらなくなると言われています。
が、予言が出ればそれが全て潰されるであれば、
予言そのものが予言としての意味を見失ってしまいます。
当たった予言とは、それなりの神が出したものになります。

ほとんどの人は、自分が幸福になる予言を期待しますが、
高い予言者ほど、国家とか社会の未来に関して予言を発しているのです。


日本の諺(ことわざ)に、下記のものがあります。
嘘は誠の皮、誠は嘘の骨
この意味は、『嘘と真実は、身体の骨と皮のような関係である。
真実を覆い隠すのが嘘であり、嘘を暴けば実にあたる』です。
嘘に隠された真実を暴けなのです
その為には、嘘を叩かないと誠が見えて来なかったのです。


まったく何も無い状態で「嘘」を造るのは難しい作業です。
嘘というものは、どこかに真実の欠片があると本当らしくなります。
言うなれば、火の無いところに煙は立たずなのです。

霊的世界に関わっていますと、神霊の嘘が出て来ます。
ならば、この嘘の源はどこにあるのかと追求すればいいのです。
そうすることによって、見えてくるものがあるはずなのです。
最初から、嘘だ嘘だとやっていれば、誠などには辿り着かないのです。

霊的世界では、よく蛇霊とか狐霊とか狸霊が言われます。
それらは爬虫類の蛇や動物の狐や狸だと言っている霊能者であれば、
既に嘘の罠に嵌っているのです。
それらは、動物霊では無く
言葉が示す霊の心の形象
たる「身変える」だからです。
何故に自分の姿が動物霊に変化するのか?
神霊と呼ばれる存在をして、その理解が出来ていなかったのです。
その意味では、人類は完全に騙されていたのです。

では、人類を騙していた根源の神は誰なのか?。
人類を騙していた根源は創造神(牛虎)
デタラメの仕組みを見ていると、創造神しか考えられないのです。

牛虎の牛は、唯一神を教えます
牛虎の虎の虍は、虚を教えます
寅(虎)の演じるは、虍の劇です
虍の思いは慮にて、思い巡らす
この漢字が持つ不思議なことに、どなたも気付かなかったようです。

ユダヤ教で神の律法を紙に書いた巻物を「トーラ」と言いますが
これは神の「虎の巻」の虎の意味だと、今日では言われています
唯一の神は太一で「牛」で表現されます
その律法は「虎」で表現されるているのです

竜虎相搏つ
【竜虎相搏つ】という言葉があります。
一般的には、互いに力が伯仲した二人が勝敗を争う意味です。
だが、どうして竜虎なのでしょうか?。
虎は実存の動物で、竜(龍)は想像の架空の存在です。
架空界の存在と現実界の存在が、相まみえて闘う?

実際に神霊世界に関わった者ならば、
霊的世界が発する内容には嘘が多々あることを知ります。
そうしたことから、霊的世界が存在するの体験をしておきながら、
あれは妄想だったのだと片付けている方が多数おられます。
自分が妄想だったと片付けるのはいいのですが、
神仏を信じる人達にまで妄想だと過剰攻撃をされています。
妄想ではなくて、ウシトラ(虚空蔵)の認識が足りていないのです。


日月神示に、艮(ウシトラ)が神々を誑かしていたとあります
神々もウシトラ(虚空蔵)に誑(言・狂)かされる

霊的世界に関わっている人達の中で、あることが言われています。
それは、自分が信仰する神霊(守護神)から、
この神が出すコトバ(神示)も疑いに疑えよ。
神のコトバだからと、頭から信じるなです。

私は子供の頃に自分を守護しておられる神霊を見ました。
神霊世界に修業に入って、その方が姿を見せられた。
それがどなたなのか解らないので、師匠としていた方に尋ねたところ、
私を指導してくださった師匠の御祭神でもありました。
その御祭神の特徴として、
言われたことの最初と最後は当たっているけれども、
その過程の道中はデタラメもいいところ。
つまり、起承転結の起結は間違いないが、承転で嘘に振り回されるです。

私は神霊から神示を聞くなどは滅多にありませんが、
ある時、その御神霊が私に言われました。
神が出すコトバには、正しいことも嘘もある。
霊的世界には正しい者もいれば邪悪の者もいる。
全てに正しい情報を下(この世)に降ろすと、
霊界では筒抜けであり、秘密の情報も知られてしまうことにもなる。
為に、情報は暗号の様にして降ろす。
そのままに信じ込めば、嘘となる。

この神は、世間的には非常に有名な御神霊です。
その名を聞けば、知らぬ者などいないのです。
しかし、その神の本当の地位とか正体を知る霊能者は皆無でした。
この神の本当の正体は、大本教霊界物語の中にしかありませんでした。
神と呼ばれる存在ですら、
自分の身分を伏せて、出なければならないのが現状なのです。

誑かすの意味は、言葉の「式」が狂っている意味なのです。
この世の苦しみは、神が与えた「試し」とか試練と言います。
試(言・式)しは、言葉の式に気付かせる為です。

どの神様も、
言葉に式があるとは気付かなかった
言葉の仕組みが「虎の巻」

本当の嘘の意は、ふーと静かに息を出すこと
音(言霊)を伴わない神の息を「嘘」と言います

聖書に、神が何々在れと言われたら、万物が出来た式の記述があります。
これは、嘘と言える内容なのです。
そこに出て来たのは「神の息」だったからです。

仏教では、宇宙の初発は無より有が生じたと説きます。
すなわち、無とは虚です。
虚の空間において有(神の息)が生じたのです。
しかし、万物は「虚の口」から生じたのですが、
それは言葉の嘘を出すことではなかったのです。
そうした嘘によって隠されたのが「真理」と言えるでしょう。

世に○○大神と呼ばれる様な神々は数々おられますが、
そうした御神霊では【言葉の仕組み】は出来ないでしょう。
つまり、私達は言葉の仕組みを知ることによって、
創造神の存在を証明出来るのです
そこにあるのが、蛇や狐や狸や猫や羊霊を指す言葉の存在なのです。

誰でも、蛇や狐や狸や猫や羊霊を見るなどは出来ません。
だが、そうした霊を見ることが出来る会話が出来るとなれば、
そこに神々には良心の存在が欠落していると解ります。
それは魂の核たる良心が、魂の身変えるを起こさせているからです。
すなわち、言葉の働きによるのです。

蛇の字を見なさい
狐の字を見なさい
狸の字を見なさい
猫の字を見なさい
羊の字を見なさい

字(漢字)が何を教えているのかが解るはずなのです。


創造神が仕組んだ罠
民の死(四)は罠の字
誰も、肉体の死で命が終わってはいない
人は死ねば終わりと思わされたことが罠
誰も肉体を失っても、意識(思惟)は残る
人は魂(玉思惟)を腐らせたり潰さなければ、
魂(玉思惟)は命の永遠性を保つ

永遠性の魂にとって恐ろしいのは肉体の死では無く
魂の世界で、行く場が捌かれること

騙すの字を見るならば、馬に偏する。
馬小屋の救世主
たった一人の馬小屋からの人物に偏するのではなく
本当の救世主は
各自のラ(良)心神に秘められている
玉思惟の円真の捌きに従う


自己の過ちを省みて
悔い改めなさい
その時、あなたの良心神があなたを救う




追稿