章の最終更正日 平成22年6月24日

大本教の出口王仁三郎聖師が霊界物語に、みろくの神を「六六六」と表現された時、
大変な驚きを持って迎えられました。
六六六と言いますと、新約聖書では666は悪魔の象徴として知られます。
確かに、日本語では3(三)つの6(六)で、ミロクとは読めます。
では、弥勒神とは悪魔のことなのでしょうか???。

大本教で出された666(伊都能売神諭:大正8年2月18日)とは、
内容は違いますが

日本では、主の神を「六合大神」と言います
東西南北と天地の六面(合)
全宇宙の意味です


日本では、国常立尊様を祭る神社としては奈良県の十津川の玉置神社が知られます。
国道168(イロハ)号線の側にあります。
大本教のイロハ(168)の演技は、熊野の素戔嗚尊様でした。
この玉置神社の神紋は、上記の紋とは少し違って州浜紋として知られます。

州浜とは、
浜辺の入りこんだところ。水の湾入したなぎさ。州が出入りしている海岸のことです。

十津川の山奥の玉置神社に、州浜は変な話になります。
玉置神社は熊野の奥宮。熊野の神紋で三つの玉と解るはずです。
この三つ玉は、造化三神を意味します。

これは、「玉置」の意味が理解されていなかったからでしょう。
元津神は一柱です。
その元津神の唯一神から、二つの陰陽の玉が出来た。
陰陽のみで万物は育成されたのではないのです。

【稲荷大神秘文祝詞】

夫(それ)神は唯一にして 御形なし
虚にして 霊あり
天地(あめつち)開闢(ひらけ)て この方
国常立尊を拝し 奉(まつ)れば
天(あめ)につく玉 地(つち)につく玉 人に宿る玉


元の神は一つであったけれども、天地が創られ、人も創られたのです。
天には、天たる玉があり。地には地たる玉があり。
人には魂と言う玉が宿っています。
この、地に玉を置いた意味が「玉置」の意味です。

すなわち、一つの玉から、合計3つの玉。

天には天の勒(6)があり
地には地の勒(6)があり
人には人の勒(6)がある

天人地の勒(6)が揃ってこそ、三勒でしょう

玉置神社の州浜紋の意味を解りやすく示してみました。
神の仕組みを理解しようとしない間は、隠された意味が読めません。

玉置神社の州浜紋には、もう一つ意味があります。
それは、馬の鞍の紋様なのです。

玉置の神紋は鞍馬の暗示
玉置神社の国常立尊様は、鞍馬の神としても知られています。
神道では玉置神社、仏教では鞍馬山寺とも言えます。
鞍馬山の牛若丸。
その親は、仏教の祇園精舎の牛頭天王。
また、閻魔大王様とされる意味も、地の大神(地の玉置)の意味なのです。
そうしますと、世間で言われていたことが繋がっていると解ります。

主の神は、私達の玉(魂)の中にも核として存在して来ます。
その意味が「円真(エンマ)」であり、
聖書では、神は汝と共に在りとなるのです。


では、、聖書で言う「666」は何を意味するのでしょうか?。

【ヨハネの黙示録第七章】
この後、わたしは四人の御使いが地の四すみに立っているのを見た。
彼らは地の四方の風をひき止めて、
地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。
また、ひとりの御使いが、
生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。
彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使いむかって、
大声で叫んで言った。
わたしたちの神の僕らの額に、
わたしたちが印をおしてしまうまでは、
地と海と木とをそこなってはならない。

【ヨハネの黙示録第九章ー4】
彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、
額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、
言い渡された。
彼らは、人間を殺すことはしないで、五ヶ月のあいだ苦しめることだけが許された。


額に神の印とあります


【ヨハネの黙示録第十三章−15】
それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、
また、その像を拝まない者をみな殺させた。
また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、
自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいはひたいに刻印を押させ、
この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。
その刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
ここに、知恵が必要である。思慮ある者は、獣の数字を解くがよい。
その数字とは、人間をさすものである。
そして、その数字は六百六十六である。


ヨハネの黙示録を見ると、神を意味する刻印と、
獣を意味する刻印の二種類があることになります。
6×6×6=216(ふた色)
人間でありながら、魂を磨かずにいると魂が「毛物(獣)」になります。
魂を磨いている人達は、身に禄(6)が備わっておられます。

額に神の印が有る人=○十(神魂の印)
みろくの神の御紋章


額に神の印が無い人=666(獣魂の印)


このヨハネの黙示録書かれている内容は、2000年近くも昔のことであり、
今の現代において奴隷制度もなく、
また、イエスの1000年王国も既に2000年もの年月を経過しょうとしていることから、
書かれている内容がそままに起こるではないのです。

ただ、そこで示された意味合いを知ることが大切なのです。


ヨハネの黙示録には、興味深い内容があります。

【ヨハネの黙示録第十九章−11】
またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこには白い馬がいた。
それに乗っているかたは「忠実で真実な者」と呼ばれ、
義によってさばき、また、戦うかたである。
その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠がおった。
また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
彼は血染めの衣をまとい、
その名は「神の言(ことば)」と呼ばれた。
そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、
白い馬に乗り、彼に従った。
その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。
彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、
また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。


さて、この人物というより、この存在は何なのでしょうか?。
その存在は、「イエス」ではないのです。
預言者とか宗教家でもなく、天軍を率いる武将としての存在を意味します。
義によるとは、義経の意味なのです。


【ヨハネの黙示録第21章】
わたしはまた、あたらしい天と新しい地を見た。
先の天と地は消え去り海もなくなってしまった。
また、聖なる都、新しいエルサレムが、
夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、
神のもとを出て、天から下って来るのを見た。


新しい天と地であることは、既に予告されているのです。

ヨハネの黙示録にあることは、2000年近くも昔の西洋での話。
では、近代の日本にそうした内容があるかです。

明治25年、丹波の片田舎綾部で大本教が発祥しました。
この大本教が説いたのは、「イロハ」です。
イロハの四十七文字と「ん」で、合計四十八の音(ことだま)。
また、岡本天明氏のヒフミ神示もヒフミの四十七と「ん」で四十八。
神は「ことば」と教えました。
ヨハネ(四八音)の日本語版黙示録

大本教では日の出神の登場を予告しました。
そして、出口王仁三郎さんは「義経」演技をされました。
ヨハネの黙示録は、
生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。
それは、義によって(義経)さばき、また、戦うかたである。


今の地球上に、神の御国は建設されないのです


下記の写真は、このHP内の魂の写真館の中に収録されたものです。
一枚目と二枚目は雨の写真です。
三枚目は光のゴーストです。
一枚目



二枚目



三枚目



実は、私達の目はカメラのレンズほど正確ではないのです。
自分の目に見えた物が絶対だと言う錯覚の中に置かれているのです。
一枚目と二枚目は雨を写したものですが、
では、誰でも雨を写せばこうした写真が撮れるかとなると撮れないのです。
三枚目は光のゴーストですが、
私達の目は、光をこうした円球で捉えることも出来ないのです。

今、私達の目には見えない「ある物」が降り注いでいます。
それは○十の降り注ぎです。
過去から降り注いでいたものではないようです。
西暦2009年の12月頃からではないかと思われます。

私達の通常の目でも、カメラのレンズでも捉えられないでしょう。
ただ、能力によりますが霊視では降り注いでいるのが見えるでしょう。






追稿