魂の写真館のパートUとして、続・魂の写真館です

パートTたる魂の写真館は、下記になります。
http://uenokouen.com/tamasi/

写真1



上記の写真は何でしょうか?。
宇宙を写した???。
これらの写真は、単に雨を撮影したのです。
しかし、驚愕の事実を知ることが出来ます。

上記の写真は等倍ですので、右の部分を2倍(面積比4倍)に拡大して見ましょう。
写真1の右側拡大


次に左の部分を拡大してみましょう。
写真1の左側拡大


次に下記の写真を見てみましょう。
これらの写真は一連の写真で、別の日に別の場所で撮られたものではありません。
写真2


上記写真の拡大されたものです。
まるで、宇宙の星雲のような感じを受けます。
見た印象では燃えていることで、周囲が煙の様にも取れます。
写真2の拡大


では、これは何なのでしょうか?。
下記の写真に光る玉が飛んでいるのが見えます。
まるで彗星のように尾を曳いています。
写真3


では、これも部分を拡大してみましょう。
そうとうな光量で発光していることが解るでしょう。
写真3の拡大


下記の写真に見られるような玉が飛んでいるのです。
その様子が夜なので、はっきりと光球だと解ることになります。
このような玉が昼間でも飛んでいる光跡は、
http://uenokouen.com/tamasi/
でも紹介していますので、併せて見られると解ると思います。
それを見られた方は、これらがカメラのレンズの前のホコリやチリが
カメラのフラッシュで光っている等と妄言は言われないと思います。
写真4


魂が、こうした光球であることは信仰の世界では昔から説かれていました。
下記は稲荷大神秘文祝詞ですが、稲荷の八霊 五狐の神の光の玉なればと
ありますように、本来の魂は光の玉なのです。
しかし、この光は私達の目には映らない光なのです。
こうした写真が撮られるのは、霊媒質者によります。
誰でも彼でも撮れるというものではありません。



神など無い、霊など無い。
もしも、そうした存在があるのならば万人が知るはずだと主張される方があります。
それは、甚だしい思い違い勘違いなのです。
自分の魂が上(カミ)に向かって行かなければ、神(カミ)には行けないのです。
自分が上(神)に登る祭りをせずに、神は無いとよく言えるものです。

万物の創造神は、人に神とも成れる魂を授けて下さっています。
それをないがしろにして、外道の道を行き、
神など無い、霊など無いと言い張っているのは愚か者の一言。

神は科学で解明出来ない存在


今回紹介しました写真は、魂の写真館の中で雨の精霊写真を撮られた、
私は「雨巫女」さんと勝手に名付けました方が最近撮られたものです。
雨(アメ)を通して霊の存在を見せているのです。

霊的世界で何かが起きているのか?。
霊的世界では既に大きな変革が始まっています。
そうでないと、こうした写真は撮れません。

明治25年、大本教と呼ばれる宗教から世の大立替が予告されました。
その中では、世の大立替があることは、どの神も御存じなれどとありますが、
下級神界では、まったく解っていないが実情です。
人々の心が荒廃した様に、下級神界の神々の心もまた荒廃をしたのです。

もし、下級神界の神々の心の持ち方が正しければ、
人々の心も、ここまで荒廃しなかったでしよう。
人々の心の荒廃に関わった下級神界の神々にいくら問い合わせても、
創造神がされる大立替に関しては何もご存じないのが実情なのです。
ですから、神界や天国すらも含めた三千世界(全宇宙)の大立替と言います。
上下の裃の履き替えです。

では、今回「雨巫女」さんが撮られた雨の夜の他の写真も紹介しましょう。
ここからの写真は縮小版です。

夜の雨を撮られた写真だと解ります。
その雨の中、上に向かっている光の航跡が無数にあることも見えるでしょう。
写真5


こちらの写真の方が、上に向かっている光の航跡が大きく写っています。
写真6


写真3の全景の縮小版です。
写真7


この写真は上に向かっている光跡がほとんどなのに、
下に向かっているのも見られます(右下)。
写真8


これは写真1の全景の縮小版です。
写真9


これは写真2の全景の縮小版です。
写真10



この数日後、さらに不思議な雨の光景が撮影されました

写真としては、写真5と同様の玉模様なのですが、
一見して俗にオーブとか玉響と呼ばれるものと解ります。
写真11


今度は画素数が多いので、写真11の右上の部分を等倍で出します。
よく、こうした写真を出して、天照大御神様の魂が写っているとか、
素戔嗚尊様の魂だとか公言している自称霊能者の方がおられますが、
そうした存在が天から雨として降り注いでいるだけとなってしまいます。
何故ならば、この写真は無数の雨を撮影したものだからです。
無論、カメラレンズの前のゴミやチリで片付ける話ではありません。
魂の写真館の中で雨の精霊として出したものと同様の話だけなのです。
問題は、この雨(アメ)が何を意味するかなのです。
単にエッチ・ツー・オーの科学式で片付けられる話ではないのです。
写真12


次の写真も、この時に撮られたものです。
雨が降って来ていると解りやすい写真です。
写真13


写真13の左上を等倍で出します。
普通の目では、雨はこの様には写りませんが、
この様な不思議なものなのです。
これらの写真は、雨巫女さんだから撮れたものなのです。
写真14


科学は万能だ!

よく、神とか霊を否定する方達は言われます。
科学だ!、科学で証明出来ないものは存在しないのだ!。
科学は、今日まで雨の正体を捉えたでしょうか?
科学は、こうした雨写真を出していません

空から雨が降って来る。
それを、自然だ道理だと思っていると、とんでもないことなのです。
神のカミは、火(カ)水(ミ)と語られて来たように、
水(ミ)も神の働きなのです。





これから創造神がなされることは、
もはや人智で語れるようなことではありません。

創造神の存在を信じるか信じないかだけです。