最終更正日 平成21年11月18日

霊や魂など存在しないと言う方達は、
魂の写真と称される物をカメラレンズの表面に付着した汚れや
レンズの前のゴミやチリが写ったものと主張されます。

世に出回っているオーブ写真と呼ばれるものには、
確かに、ゴミやチリとか水滴と思われものが存在します。
しかし、それだけでは説明不可解なものもあるのです。

下記の写真を一見しますと、オーブが写っている?、ように見えます。
間違いやすい写真の典型です。
しかし、2枚目の写真も同じ位置に丸いものが出ています。
これは、レンズの表面上に付着した油性の汚れが原因です
写真の構図が変わっても、同じ場所に写りますので原因はレンズの汚れだと解ります。
レンズの表面を掃除すれば、この現象は消えます。
携帯電話のカメラだと、こうした現象が出る可能性が特に強くなります。
これは小型一眼レフカメラで出た現象です。
写真1



構図が変わっても、前の写真と同じ位置に出て来ているのが解ります。
写真2



次の写真は、オーブと呼ばれるものの写真です。
背景の構図が変わっても、同じ位置でないことからして、
為に、レンズの表面の汚れではないと解ります。
その場所を黄色の○で囲んでいます。
部屋で大きなラップ音があったので、その時に撮影した一連の写真です。
レンズの汚れであれば、同じ位置に出なければなりません。
浮遊しているゴミだと片付けることも可能ですが、
それだとラップ音の説明が出来ません。
写真3



下記の写真を見れば写真3と同じ位置に無いことが解ります。
ラップ音がなければ、ゴミと片付けてしまうかも知れません。
写真4



次に、オーブと呼ばれるものは雨(水滴)説があります。
下記の写真は雨(水滴)を写したものです。
こうした写真を仰々しくオーブで神霊の玉だと言う方達がありますが、
無数に降り注いでいることから雨粒と解るでしょう。
その数が少ないと、見誤ってしまうかも知れません。
写真5



この手の写真は、別に作為をしなくてもデジカメのオートで撮れます。
しかし、いざこうした写真に撮るとなると、意外と難しいかも知れません。
必ずしも、誰でもこうした写真が撮れるではないからです。
それならば霊など無いと主張する人達でもこうした写真が撮れるはずなのに、
そうした批判派からは、この通り撮れると言う話は出て来ないようです。
写真6



下記の写真は写真5の部分ですが、
俗にオーブ写真と呼ばれているものと、特徴が似通っています。
しかし、これは私が雨粒を写したもので、オーブとは言えません。
写真7



次は、やはり雨を撮ったものの拡大(等倍)です。
黄色の楕円の部分を注目してください。
写真8


写真9



科学の分野は、最初から霊など無いと頭から否定なので、
雨粒がこんな不思議な形を持っていると気づかないのかも知れません。

一部でオーブ・たまゆらと称されている写真には、
チリや汚れや水滴が写ったものがあることは確かですが、
全てが汚れやチリや水滴で片付けてしまうのは
あまりにも無謀と思われます。


次は雨ではなく、快晴の夜の写真です。
雨の写真を撮影した場所から写しています。
何かが写っています。
写真10


上記写真を自動レベルで補正をすると、
写真の8と9で黄色の楕円で囲んだ特徴が見られます。
雨粒で写したものと同類と思われます。
すると、雨であったのかの疑問が出て来ます。
写真11



次は、同じ雨粒でも不思議な形をしたものです。
六角形のものは、シャッターの絞りとも言えなくはありませんが、
それだとその中にある目とか鼻の様な穴の説明が出来ません
写真12



また、下記の扇形だと更に説明が出来なくなります。
扇形のシャッター絞りなど聞いたことがありません
こうした写真は雨の精霊とも呼ばれています。
誰でも撮れるのならば、別に珍しい写真とはなりません。
強度の霊媒体質者の撮影になります。
写真13



一眼レジカメのレンズですとフィルター直径で5.5センチほどありますが、
デジカメのレンズは直径が1センチから2センチ程度しかありません。
レンズ面積で7倍から違って来ることになります。
テレビジョン撮影カメラのレンズは更に大きく、レンズの大きさが違います。

コンパクトデジカメの小さなレンズに水滴がついていれば大きなものとなります。
映画とかテレビジョン用の大口径レンズならばともかく、
水滴が、こんなに無数には写り込まないでしょう。
また、水滴を写真に写しても、こんな不思議な形ではないことは解るはずなのです。

如何に科学が発達して、
水を分子レベルでエッチ・ツー・オーで水素と酸素の結合体だとしても、
この様な形状の写真は撮れないでしょう。


丸い玉ではなくて、扇形をしたものや六角形が見られます。
レンズシャッターの扇型は考えられません。


雨が激しく降って来た時のものです。
写真14



右下にあるのは、白いものは通常オーブと呼ばれるものに似ています。
写真15



雨の中の画面左側に不思議な発光体が見られます。
写真16



その部分を等倍で見ますと、左にあるオーブのような玉が幾つか集合したものと解ります。
コンパクトデジカメのフラッシュは、さほど遠くまで行きません。
ゴミやチリがフラッシュの反射などの説は、反論にもならないと解ります。
写真17



左に扇型も見られますが、右側にはもやもやとしたものが見られます。
何が写り込んでいるのかは定かではありません。
写真18



上記の写真を等倍で見ますと、降りている雨の中で上昇している光の航跡が見られます。
写真19


霊の字は、雨の巫女

私達は、言葉が不思議なことを告げているに気付かないといけないのです。

上記の写真は、雨(水)の精霊を写したものとしては美しいものではありません。
それは、上記の写真が撮られた場所は汚れた土地だからです。
汚れていない土地で雨(水)の精霊を写したものはとても綺麗なのです。

私達は土地を汚す、水を汚すの意味をあまりにも知らなさすぎたと言えます。
祓いという意味は、この霊的汚れに対する祓いの意味なのです。
自然が自然に出来たと思っている人達は、神を知らなさすぎる人達なのです。

霊的なことに関して、神や霊など無いと言う人達は、
神や霊が見えると言う方を脳内妄想と片付けられます。
私達の目はレンズであり、レンズを通して電気信号として脳内で映像を見ます。
そこに一つの霊的フィルターをかけますと
私達の目は必ずしも正しい映像を認識していないことになります。
逆に、カメラの方が正しく映像を捉えていたりするのです。


下記は、一眼レジカメのレンズの前に霧吹きで水滴をかけました。
写真右側にレンズシャッター絞りの六角形が出ています。
写真20



前写真と同じ時の水滴実験です。
シャッターの六角形絞りが解ります。
こうしたものはオーブではなとい言えます。
よく、太陽の光のゴーストをオーブと間違える方がありますが、それとは違います。
写真21


では、オーブ写真とはどのようなものなのか?。
某テレビ局の超常番組において放映されたものを引用しました。
撮影場所はインドの某聖地。
下に横たわるのはお釈迦様の涅槃像。巨大像。
撮影者は霊能者・田教隆仁氏。
写真22



上の写真の拡大版
水滴やチリやレンズの汚れと言うのはあまりにも難しいでしょう。
無数の細胞のようなものが集まっている物に見えます。
写真23



下は日本で撮影されたもので、同じく玉はまん丸です。
右側と左側は色つきぐあいが違います。
丸い玉であることが解りやすい写真です。
雨粒を写したものとは明らかに違います。
写真24



下記は神霊パワー・スポットで知られる出雲の須佐神社の御神木上部右側に
色違いの玉が見られる写真です。
玉と言うよりも何か「氣」の様で、この御神木に関するものと考えられます。
社(やしろ)の方には、通常オーブと呼ばれているものが見られます。
写真25



下記は上記写真の等倍です。
ゴミやチリがこんなに大きく写り込むのでしょうか?。
なお、この時の別の写真にはこの症状がないので、レンズ面の汚れは考えられません。
この御神木は有名で、直径が優に1メートルは超えます。
ですから、そこに写っている存在もそれぐらいあると考えられます。
無論、否定論からすると、それはレンズ近くのゴミだったからと言われるでしょう。
しかし、光のゴーストにしてはシャッター絞りの形状が見られません。
写真26



次の写真も、同じ時に同じ方が撮られたものです。
オーブと呼ばれものが無数に見えます。
一見すると、雪のようにも見えるでしょうが、下から上に向かう光跡が見られます。
写真27



等倍で見ますと、光跡がはっきりと解ると思います。
雪ならば上から下に向かうはずです。
写真28



この須佐神社の御神木を上記撮影者とは別人が別の時にビデオ撮影したところ、
映像に不思議な光が出ました。
元はハイビジョンで撮影されたものを、vmv形式に変換してあります。
ビデオ1
須佐神社御神木susasinboku.wmv


その不思議な光を静止画として切り出したものが下記の写真です。
本来はハイビジョン撮影なので、上のビデオよりも横に広がりがあります。
vmv形式では、右側が変換時に切られてしまうようです。
写真29



写真30



写真31


写真を見て解るように、ビデオの撮影位置は変わっていないことは見て取れます。
しかし、御神木に写っている白いモヤ(靄)的なものは位置を変えているのが解ります。
こうした写真を頭から否定する論理のゴミやチリ説は、
ビデオカメラがほぼ固定の状態からみて、
レンズの前にゴミやチリには無理があると考えられます。


その前に出しました、御神木の横に見られる丸い存在の動きかも知れません。
ビデオを見る限りでは、明らかに動きを伴っていると考えられます。
意志を持った存在でないと、辻褄が合いません。



次の下記の写真2枚は、曹洞宗本山永平寺の仏殿を撮影したものです。
どちらも撮影条件は、ISO感度800
絞り値F3.5 シャッター速度1/30
焦点距離18.0o ストロボ非発光
撮影時間は上が2009/10/31 11:29:32
撮影時間は下が2009/10/31 11:29:54
両写真に時間差が22秒あります。

上の写真は平常の写り方をしています。
写真32


写真33


下の写真には歴然とした変化が見られます。
暗い室内を高感度で写しており、太陽光がその時だけ届いたでもなければ、
ノンストロボなので、外からの光の影響はありません。
この写真の大きさだと理由が掴めません。


そこで等倍で見ます。
まず、祈祷と書かれた額の部分を見ますと、何かが動いているようです。
最初の写真には何も写っていません。
写真34



壇の下側を見ますと、そうした小さな白い玉がいくつも見られます。
写真全体では、他にも出ています。
写真35


こうした存在によって、写真の露出が狂ったことになります。
魂は光の玉と言われる由縁かも知れません。
この撮影はノンストロボですから、ゴミがフラッシュの反射光で写るなどではないのです。

こうした写真を見せられても、こうしたものはホコリやチリだと言う方達は、
大きく見えるのは、レンズの前にホコリやチリがあったからだと言われます。
あまりにも幼稚な反論としか考えられません。

では、レンズの前のゴミなのでしょうか?

そこで、一眼レジタルカメラの前に、
ホコリが無かったのでミルクパウダーで代用してみました。
ホコリ説ならば、ホコリ以上に写るはずです。
写真36



望遠側では何も写らないので、広角にしています。
トタン壁にボヤッと写っているのが解りますが、水滴より見づらいと解ります。
オーブがレンズ面のゴミやチリ説だけでは、無理筋だと解ります。
写真37



次にオーブ写真は光のゴーストだと言う反論があります。
ここには「たまゆら」と呼ばれる透明の光の玉の写真は持ち合わせていませんが、
それらは光のゴーストとは違っています。
下記の3枚の写真は全て光のゴーストです(トリミング)。
霊写真ではありません。
この手の写真は一眼レフでファインダーを見ていると見えますので、
光のゴーストと確認出来ます。

知らない方の中には、こうした光のゴースト写真を霊写真だと思ってる方がありますが、
それは間違いなのです。
写真38


写真39


写真40


しかし、何故にシャッターの絞りである4角とか5角でなく
丸い玉で写っているのでしょうか?。
私達は光を見ても、光の物質に関してあまり知りません。

光は粒子なのです
そして、波動を持つからです
私達が見ている光は粒子の連続が線であり、波動として流れている。
その概念をなくして「光」として見ているだけなのです。

上記の3枚の写真は、シャッターを切ったら、偶然に写ったではありません。
一眼レジカメのファインダーでは、はっきりと見えていたのです。
しかし、見えているということは「無」ではないということになります。
完全なる無では、何も写らないはずです。
私達は「無」とは、私達の目には見えないものとして捉えています。
カメラから目を離せば、何も見えません。
だが、写真として出せばそこには存在があるわけです。
私達の目に見えないが存在するものが霊とするならば、
これも、また霊写真なのです。
私達の目が限定された波長しか捉えられないと知るべきなのです。

光もまた「有」たる物質なのです。
だが、透き通っている為に、私達はそれを「有」と感じないのです。
光によって「有」が創られている証明ともなるのです。
言葉とは「光透波」とも言います。
この意味が理解出来ない人には、永遠に神や霊は理解出来ないでしょう。

この上記の3枚の写真を霊能者と呼ばれる方が見た時には、
光の神を意味する神的写真と判定されるかも知れません。
それは単に光のゴーストとしてではなく、光の波動を感じられたのでしょう。

光のゴーストを撮る時には、何か物質に光を跳ね返させる必要があります。
しかし、この撮影場所にはその存在がありません。
この撮影場所は、別名「天空城」と呼ばれる丹波竹田の山城の上なのです。
太陽の光をバウンドさせる存在がないのです。
この天空城で撮った写真に写り込んだものです。
戦前の大本教が天空城(竹田城跡)の竹田を聖地とした謎追いの為に行った時です。
下記の写真は、丹波竹田城趾です。
写真41



上記の様な光のゴーストは狙って撮れるかと言いますと、
光を何か(建物とか樹木)でバウンドさせれば撮れなくはありません。
しかし、カメラの露出計が狂って上記の3枚の様な鮮明写真は撮れません。
下記の2枚は現像ソフトで補正をしてもこの程度です。
この写真に写っている様な光の玉をオーブと言う人達がありますが、
それは間違いと言えるでしょう。
写真42


写真43


この直上の写真では面白いことが解ります。
以前、拝見した樹木のこぼれ陽から来る立ての光と横から来る光の交差の中に
赤子が居る写真です。
その写真を見た某霊能者が、その横から来る光を観音様の光と言ったことに、
私は首を傾げたことがあります。
その時には横から来た光の謎が解らなかったのです。

この上の写真のその部分だけを取り出してしまいますと、
樹木の下のこぼれ陽の下では、そうした交差現象が写り込む可能性があるのです。
その写真は明らかに樹木のこぼれ陽の元だったからです。
そうした光が写ったから、神仏云々では無いとなります。
私達の目には見えなくても、光が粒子である為に、横からの光もあるわけです。
決して、レンズの前のゴミやチリで片付ける様な話ではないのです。
写真44



最近流行の家庭用ハイビジョンビデオカメラ等に撮られる映像を見ていますと、
太陽に絡んだ撮影条件下においては、
下記の写真の左側に見られる青色の◇(菱形)のものがよく写り込んでいます。
これらは、ビデオカメラのシャッターの形状から来ているようです
テレビ局で使う高級ビデオカメラでも、五角形とか六角形で
光のハレーションが写り込んでいるのが解ります。
その形はレンズシャッターの絞りの形状に起因しています。
別に光のハレーションだから、丸く写るではないわけです。
この写真の太陽の周りは光輪現象と呼ばれる自然現象です。
写真45



下記の写真の光の玉はコンパクトデジカメで太陽にカメラを向けると出る現象で、
丸いカラーの玉が写っています。
縦とか横に列が規則正しく出ているのが解ります。
デジカメの受光部に関係するものと解るものです。
同じ場所で同時に一眼デジカメラで撮ると、こうした現象は出にくいと言えます。
写真46



下の写真は同じ場所で同時刻に、太陽に向けて一眼レジカメで撮ったものです。
焦点距離が40mmと55mmの違いがあり、同じ大きさではありません。
しかし、コンパクトデジタルカメラに見られる現象は出ません。
これは、コンデジはレンズから来る光を直接にカメラのエンジンに受けていて、
一眼デジタルカメラはミラーを介在させているからと言われています。
一眼デジカメでコンパクトデジタルカメラと同様に写すことをライブビュー撮影と言いますが、
ライブビュー撮影時には、レンズを太陽に向けないでくださいの注意が入ります。
カメラの内部エンジンを太陽熱で破損させるからです。
上記の写真は、コンパクトデジタルカメラには強く出る特有の現象なのです。
写真47



通常、光は私達の目には透明系で見えていますが、
プリズムで解る様に各種の色を持っています。
別にプリズムが無くても、こうした樹木で光をバウンドさせれば、
デジカメでも光の波長を捉えます。
色は波長の違いです。
霊的世界が波長・波動世界と言うのもその為なのです。

魂を光の玉と言う
私達の目はその光を完全には捉えきれないのです。
捉えれない目で、霊は無いと言うのは自分の愚かさを自覚していないのです。
写真48




では、下記の写真を見てください。
 下記の写真は、境港市にある「水木しげるロード」にあるゲゲゲの鬼太郎の中に出て来る
「目玉おやじ」の像ですが、不思議なものが写っています。
 この写真に写っている写真の手の持ち主の方は、非常に霊感が強い方です。
また、この写真を撮影された方も非常に霊感が強い方です。
 その手のひらから一種の「氣」の様な玉が出ています。氣は一種のエネルギーです。

 私達が持つ魂とは玉思惟であり、それもこの写真の様な玉型のエネルギー体なのです。
 通常は私達の目には見えませんが、カメラではその見えない存在を捉えることもあるのです。
決してレンズの前のゴミやチリで片付ける大きさではないと解ります。
僅かなシャッターの合間に、ゴミやチリがこんなに移動するのでしようか?。

しかし、こうした写真をゴミやチリで片付ける方は、
永遠にゴミやチリと頑なに言い続けることでしょう。

写真49



下記の写真を見ますと、俗に言われるオーブが写っています。
この写真の場合、ゴミやチリがカメラのフラッシュ光に反射したのだ。
そうしたことも言えなくない写真でもあります。
写真50



しかし、同じ場所で同時刻に撮られたもう一枚を見てください。
同じようにオーブと呼ばれるものが写っていますが、
右下に不思議な発光体が写っています。
この発光体の関係で、写真の露出が変化を起こしています。
瞬間的時間に何か飛んで来たものがあることになります。
写真51



この発光体の部分を等倍で見ますと、
小さくても考えられない光の量と言えます。
でも、人の目には見えていなかったのでしょう。
私は火の玉と呼ばれるものと遭遇して、約40分ほど数十キロに渡って付き合い、
火の玉の動きが信じられない動きをすることを知りました。
火の玉は明らかに「意志」を持って動いていると解りました。
この写真の光が俗に言う「火の玉」であったのかどうか?。それは解りません。
写真52





この様に、玉と呼ばれるものは光も発するのです

下は日本の京都鞍馬寺の入口社務所で撮影されたもの、上部に青色が出ています。
玉が発光状態だと解ります。
写真53




下記の写真は、アメリカ在住の日本人の霊感持ちの女性が撮られたものです。
写真の左側上と左側下に何か写っています。
一見すれば、カメラの前のレンズゴミで片付けられてしまうものです。
写真54



その部分だけを見てみましょう。
ゴミでしょうか?。
日本のかなり著名な教団の開祖様が写っている昔の白黒写真に
これと同様のもので直径で1メートル数十センチのものが写ったものがあります。
同教団の信徒さんはそれを御神体とされていますので、
その写真を皆さんに、ここで開示することは信義上出来ません。
しかし、それから考えても宗教的には魂とされるようです。
何でもかんでもゴミで片付けて済むことなのでしょうか?。
写真55




下記の写真は長野県の戸隠神社の参拝道でデジカメで撮られたA4写真から
スキャンで起こしたもので、デジカメなので現像ムラではありません。
写真の右上の玉は光跡があることが解ります。
無論、雪は降ってませんし、水滴では無いと解るはずです。
この撮影者は、こうした写真が撮れる方です。
写真56



では、いったいオーブと呼ばれている写真はどのような場所で写り込むかです。
下記の写真は、笠原神社と呼ばれる田舎の神社の御輿の倉庫ですが、
写真の右上と軒下にオーブが見えます。
写真の右上に一部しか見えませんが、発光しているのが解ります。
こうした写真をカメラのフラッシュの光がゴミやチリや水滴を写したものだと言う反論は、
日中であることすら無視していることになります。
デジカメで日中にフラッシュなどしないでしょう。
まして、軒下に見えるのは太陽光線からすると日陰なのです。
写真57



同じく笠原神社の本殿の屋根の上にも見られました。
写真58



同じく笠原神社の磐座にも見られました。写真の右上と左下です。
写真59



こうしたオーブと呼ばれるものを一概にゴミやチリと片付けられるかです。
下記の6枚の写真は、単に偶然によって撮ったものではありません。
激しいラップ音が鳴り響いている方向にカメラを向けて撮ったものです。
もしもラップ音が鳴り響いていなければ、シャッターは切らなかったのです。
やたらにシャッターを切っても、意味の無い話です。
ゴミやチリの類がラップ音を伴うのでしょうか?。

写真の右上に小、左に大、右下に中の大きさが薄く見えます。
某大社の宿泊所で、ラップ音がうるさくて眠れない夜でした。
写真60


写真61


写真62


写真63



これは別の場所で、ラップ音をめがけてシャッターを切りました。
写真64


写真65



ラップ音とは
では、ラップ音と呼ばれる音はどのようなものなのでしょう?。
日本では騒霊と呼ばれているようです。
通常、音は音を発生させる器具が存在しています。
しかし、そうした音を発生させる状態でないのに、音が聞こえて来る現象です。
よく間違われるのが、家など新築しますと柱等の乾燥の課程において、
ラップ音に似た音が聞こえて来ます。
そうした現象ではありません。

ラップ音は、そこには何も無い空中というより空から聞こえる場合もあります。
種々の音があり、特定された音ではありません。
通常だとバーンとかポーンなのですが、屋根に石ころを転がすような音や、
雨が降ってもいなのに雨だれ音とか、ノコギリで木を挽くような音、
鉄管を切るような音、バイクの様なエンジン音、ヘリコプターの様な音、
扉が開く様な音、カランコロンと下駄のような音、柱時計が時を刻むような音、
あらりあらゆる音が存在するのです。

ここに紹介するラップ音は、初歩的な軽度のラップ音に過ぎません。
以前はマイクを用意し、テープデッキがないと集音が出来ませんでした。
しかし、いつ来るか解らないラップ音を待ち続けるのは大変なのです。
常に連続して規則的に聞こえて居る場合はラップ音ではなくて、
どこかに音が出ている場所があって、音の波動の伝達を探るべきです。
今は便利なビデオカメラがありますので、そのビデオカメラのマイクで捉えたものです。
畳の上にビデオを寝かせておいたものです。少し時間を短縮させています
指向性マイクで録音すれば、さらに良い状態で録音可能でしょう。
なお、2009年11月18日更正以前のものは音量があまりにも低くて解りづらかったようで、
今回の補正で音量を上げています
ビデオ2
rapon.mpg


下記の写真は、フラッシュ撮影の条件下ではありません。
ゴミやチリがフラッシュの光での反論には無理があります。
上にある白い玉の上部は青色の光を持っているのが解ります。
撮影場所は鞍馬山。人物との対比である程度の大きさがつかめます。
ただ、人物が写っていますので半切りにしてあります。
写真66



こうしたオーブの写真で、これは○○大神の魂だと言われる霊能者がありますが、
それは認識不足と思われる節があります。
神の姿はこうした玉そのものではなく、写真の中に幻視で見えて来るようです。
写真そのものが映像として動くと言われています。


私は実体験として不思議な体験を持ちます。
それは夢とか幻視(霊視)ではなくて、
私の目の前にモヤモヤとしたものが突然に漂って来て、
?と見つめていると、それが一瞬に凝縮して結跏趺坐の如意輪観音として、
空中に仏像が現れました。
氣(靄)が物質化の像して目の前に出て来たわけです。
あまりの美しさに呆然としていると、スッと消えてしまいました。
それと同時にモヤ(靄)も消えました。
もしもその時にカメラがあれば、トンデモの写真が撮れたかも知れません。
存在しない場に物質化した仏像が現れたのです。

こうしたことは体験した私には事実であっても、
体験したことがない方には「嘘」だと言われてしまいます。
証拠を出せ。証拠を出せの一点張りです。
神と呼ばれる存在は、見た者にとっては信じるに足りますが、
見ない者にとっては、それが何故かとは考えられないのでしょう。


神的写真と言えば、下記の様な写真が考えられます。
神は「柱」と言います。
写真では、光の柱の様にして写り込んで来るようです。
そうしたことから、「柱」と呼ばれるのかも知れません。

下記の写真はデジカメではなく、旅先等で売られている密閉式使い捨てカメラです。
フイルム式一眼レフカメラと違い、撮影者がフイルムをいじりませんので、
フイルム装填時や出す時の事故による露光ではありません。
その写真からスキャンしたものです。
木曽御岳山の滝の口の不動明王さんです。
写真67



下記の写真は上からの光、左側からの光が見られます。
この「光」の根源はどこに在ったのでしょうか?。
科学の常識では、考えられないでしょう。
写真68



自分にはこうした写真が撮れない。
神の姿が見えない。神を感じない。
だから、神や霊など無いと言い張り、
神や霊を言う人達をバッシングする前に、
自分にはそうした霊能力がないのだと認識する必要があります。
神や霊など存在しないと否定に走ることは、
自分は神より偉いと思っている高慢な態度なのです。

イエスの教え。
自分はいと小さき者と知りなさい。