章の最終更正日 平成22年6月24日


かごめかごめ
 籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ?

童謡「かごめ歌」は、神界からの予言の歌とされます
いろんな方が、このかごめ歌を解釈されています
それぞれの方の解釈は別として
籠の中の鳥とは如何なる鳥なのでしょうか?

終焉を告げるのが「焉」と言う名の鳥


この「かごめ」歌が、新しい世(みろく世)の到来を告げる予言歌であることは、
多くの方が言われて来ました。

誰しも、寄席等で終わりの舞台を務める者を「トリ」と呼ぶことは知っています。
しかし、その「トリ」の言葉がどこから来たのかまでは考えなかったわけです。
この演技を持ちまして舞台は終わりですを告げるのが終焉のトリなのです。
このトリを務めるものを「真打ち」と言います。
そして、その演目が終われば舞台の幕は降ります。
今の世の舞台が終わる終演(終焉)なのです
焉の字は、「正」と「鳥」を組合せたものです。

では、終焉の焉の部分の「正」は何の意味だったのでしょうか?。
これは、ただしいの意味ではありません。
正=「一」と「止」の組合せです。
止まるところに止まっていることが「正」なのです。
そして、この「一」と「止」まるの「一」は、「口」の意味で、
「囲い」を意味する「口」なのです。
すなわち、囲い(籠)の中に止まっていた鳥が「焉」になります。

この「焉(えん)」と呼ばれる鳥は誰も見たことがありません。
何故ならば、最後に現れる鳥、最後にしか見られない鳥のことだからです。
故に、焉の字の解釈が鳥の死骸ではないか等の推論にとどまっていました。

これまではかごめ歌の籠の中の鳥は鶏の意味とか、鴇(トキ)とか、
不死鳥(火の鳥)とか考えられて来ました。
この不死鳥(火の鳥)にしても、元はエジプト神話の霊鳥ベンヌであるとされるだけで、
伝説的なものにしか過ぎません。
誰も終焉の「焉」たる鳥を見たことがないので、やむ得なかったわけです。
この終焉の「焉」鳥を籠から出してしまいますと、全ては終わってしまいます。
で、主の神の籠の中に密かに飼ってあったことになります。

さて、かごめかごめと言いますが、一般的にはカゴメ紋はタビデ紋とされます。
では、カゴメ印(ダビデ紋)で「籠」を編んでみましょう。

カゴメ印(ダビデの紋章)
別名、豊受紋とも称される



カゴメ印(ダビデの紋章)で編んだ「籠」模様


籠目紋(ダビデ紋)を連続させると、見事に籠が編めます。
籠を見た時、ダビデの紋章を思い浮かべる方は少なかったかも知れません。
ユダヤと日本の関連性は、一部の人が称える戯れ言と見られたからです。

伊勢神宮に行きますと、参道の灯籠に「かごめ紋」が見られます。
別名、豊受神の紋とも言われます。
伊勢の豊受神は、
丹後の元伊勢の「籠」神社から伊勢に旅立たれたとします(雄略記)。
で、「籠」模様を見ればタビデ紋ではないかと、多少は意味が解ったわけです。
これを単に「六芒星」と言っていたのでは、まったく意味が掴めないわけです。

このカゴメ印の籠の中に飼われていた鳥が終焉の鳥。

後ろの正面はだあれ?。
後ろの正面は「鬼」で、牛虎(鬼)金神
国常立尊様と申しあげる創造神
夜明けとは「みろくの世」

これまで、「みろくの世」の到来は各種新興宗教で宣伝されて来ました。
しかし、その時期はまったく不明だったわけです。
みろくの世の到来を見るには、籠から出た終焉の鳥を見る必要がありました。
終焉のトリが出て来ないと、夜明け(みろく世の到来)を告げられないからです。

しかしながら、終焉の鳥は「火の鳥」とも言われて来たように、
火の審判頃において出て来る鳥なのです。
鶴の様に首は長いが鶴ではなく、
孔雀の様に美しい羽根を持つが孔雀ではない美しい鳥。
中国では「鳳凰(朱雀)」と呼ばれて来たのかも知れません。

それは、不死鳥も鳳凰も火の属性を持つからです。
しかし、それは現実世界の鳥と考えるのではなくて、
霊界の神鳥のことで、現実界に住む鳥を当てはめてはいけないのです。
夢の中とか、霊的にしか見ることが無い鳥なのです。
この霊鳥を見る時、その光景は全てが火で焼け野原を見るのでしょう。

みろくの世とは、永遠(松)の世で
鶴の千年、亀の万年でもなく
鶴亀は滑っても
統べるは昴(スバル)
日本では昴を、統(すば)る星と言う

伊勢外宮(稲荷大神首座)の豊受の神は、物質を授ける神様の意味です。
鶴と亀は、今の世(物質の世)が永遠に続きますようにと言う意味です。
しかしながら、それは籠の中に鳥が止まっていてこそになります。
その豊受神の籠(加護)から鳥が出ることで、物質の授けは終わります。
当然に物質中心主義の世の繁栄を歌うところの鶴亀は滑ります。
そして、後ろの正面は鬼(牛虎)と揶揄された国常立尊様の世となります。

どうも、終焉の鳥は籠の中から出てしまったようです。
すると、私達はこの先は「火の洗礼」の中を通らないと行けなくなります。
しかし、その後に新しいカゴメ印(タビデ紋)が立つことも意味します。
それがタビデの若枝と呼ばれることになります。



これまで国常立尊様と豊受様の関係を言われる方は多々ありましたが、
カゴメ歌の鳥に関しましては盲点でもあったわけです。




追稿